昨日は二部構成で保護者会を開きました。寒い中、お足運びいただき、有り難うございました。

前半は、年長保護者を対象としたもので、テーマは生活発表会の劇に関するものでした。家での練習あればこそ成り立つのが劇です。劇の内容をご説明した上、ご家庭での継続的な練習のご協力をお願いしました。題目は「かさじぞう」。今回で三度目になりますが、人数と男女比が毎回違いますので、台本は初回のものと随分変わりました(たとえば初回のバージョンに「かさうり」は登場しません)。

後半、生活発表会の実施について、園からのお話をさせていただきました。年少児のお遊戯は、一学期と違い、年中児の一学期発表会と同じレベルの内容になります。そこに一つのチャレンジがあるわけですが、それに加え、他のお友だちの取り組みを「応援する」姿勢も子どもたちに学んで欲しいテーマとなります(すでに十分その姿勢は身についているのですが、総仕上げという意味を込めて)。

年中児はリズムバンドの取り組みになります。一人一人がしっかり練習を重ねて力一杯の演奏をしても、いかんせん、冬の会場は夏場と違い、「音を吸収する」環境になります。なんとか子どもたちのがんばりを会場の隅々まで届けたいと思い、今年はマイクで音を拾う形をとらせていただきます。

最後に時間の許す範囲で、教育の話をさせていただきました。先日、このブログで紹介したことではありますが、三学期の始業式で、園児全員が凛々しく会に臨んだこと、そのさい、私が子どもたちにお話しした内容を保護者にもお聞き頂きました。「できると思えばできる」。この言葉を大人の文脈に照らして、あらためてご紹介した次第です。

付け加えたエピソードとしては、スティーブ・ジョブスの「ドット(点)」の話。日々私たちは生きながら「点」を刻んでいます。その点が点とつながり、いずれ「線」になります。点を刻んでいるとき、その線がどこにどうつながっていくのかは見えません。つまり、未来は不確実です。しかし、時を経て、過去の点のつながりを眺めるとき、私たちは、「ああ、あれがこうなって、こうつながって、今に至るのか・・・」とふりかえることができます。つまり、過去の点は線と成り、人生の模様の一部となるのを理解できるのです。

これが何の役に立つのだろう?こんなことをしていてよいのだろうか?・・・誰もが思います。しかし、そうした日々の中、「何か」につながると信じてひたむきに取り組むことの一つ一つ。いつか、振り返ったとき、その「意味」がはじめて理解できるようにできているのだと私自身、感じます。そして、それは未来を待たなくても、「今」実感できることではないでしょうか、と申しました。

つまり、お子さんが生まれたときのことをふりかえってみる。もっと昔で言えば、ご主人と出会ったときのことを思い出してみる。それが、今につながっている。難しい話は抜きにして、そっとアルバムを眺めてみればよいのです。お一人で、あるいは、出来れば、家族全員で。いろいろな会話が飛び交うでしょう。「あれをしなければ、これもしなければ・・・」という会話とはまるで異なる心楽しい語らいのはず。

そして、「今」。今、この瞬間にも「点」は未来に向かって刻まれていきます。強いドットも、弱いドットも。思ったより右に寄ったり、左に寄ったり。そのすべてが「いつか思い出して喜べる時がくるでしょう」。ちなみに、この引用文も、2000年前のローマ人の言葉。といって、今の言葉と何も変わりませんね。

人間が人間である限り、古今東西、人間の喜怒哀楽、考えること、感じることには何も違いはない、と思います。加えて言えば、大人も、子どもも、男も女も。「違い」を探すのも大事ですが、同時に「同じ」ことを見つけるのも、同じくらい大事だと思います。

私は、先日の始業式で園児100人にお話ししたのと同じ気持ちで、昨日は保護者のみなさんにお話をさせていただきました。

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